WWW川流れ

集客と宣伝

  1. 1000字で一人
  2. リンクの有効性
  3. マニュアル人間

1000字で一人

歴史も浅く移ろいやすいWWWというメディアにおいて、実際にコンテンツを「転がして」みてはじめて分かるデータは多い。こうした経験則的なデータを馬鹿にしたがる者もいるが、経験則は理論の基礎となるデータだから、これなしに理論を組み立てることは不可能だ。

さて、テキストを中心としたWWWコンテンツは、特に宣伝を行わなくても、1000字あたり1日一人の訪問者を連れてくる潜在能力がある。これは、弊サイトにおけるコンテンツ公開から得られた「経験則」である。

それゆえ、テキストが多ければ多いほどサイト全体としての集客力は高まる。しかし、テキストが多いからといって、一部の商用Webページにみられるような「意味のないテキスト」を記述しても効果はない。

「検索エンジンスパム」などと呼ばれるこのようなテキストは、しばしば文字色が背景色と同じ色に設定されていて、そもそも「見えない」ようになっている。そして、ブラウザでその部分を選択し「見える」ようにすると、コンテンツとして公開している内容とは関係の薄い語句が並んでいる。集客には効果があるのかもしれないが、求めていた情報がないことを知った訪問者が再度ページを開く可能性は低くなる。ニーズと内容が異なっていれば、商品やサービスを購入する可能性も少なかろう。

さて、文章によりこの数字のような集客を行うためには、HTMLファイルに適切な見出しを付ける作業、「真っ当なマークアップ」がなされている必要がある。しかし、「手書きHTMLのススメ」以降いつくかのセクションにわたり解説した方法でページが作成されていれば、完全ではないにしても「見当違いなマークアップ」にはならないであろう。

「真っ当なマークアップ」のためには論理構成が明確になっている必要がある。そして、明確にされた論理構成から適切なデザインがされていれば、訪問者を連れてきたキーワードを含んでいるもの以外のページも閲覧させることができる。

本論で「集客」「宣伝」というもっとも関心を惹きそうな項目を後回しにし、論理構成、デザインのセクションを延々と記述している意図はこのような部分にある。さまざまな要素を経由してはじめて、コンテンツ作りを効果的なものにできる。

リンクの有効性

ほかのWebサイトからリンクされることは、Webサイトの集客に役に立つものだ。昨今、リンク集を実際にクリックするユーザはそれほど多くないが、検索エンジンがリンクされていることを評価して検索結果を生成してくれるなど、間接的なメリットは大きい。しかしここでは、もう少し違った角度から「リンクの効用」を検討してみたい。

手短な紹介文を加えたリンク集を作成することは、取り組む価値のある作業だ。コンテンツと関連のあるWebサイトや、自分のサイトのコンテンツを補強してくれるWebサイトへのリンクは、思いがけない「得」をもたらすことがある。リンク先のWebサイトを探していた訪問者が、検索キーワードを通じて「うっかり」自分のサイトに立ち寄ってくれる可能性があることだ。とりわけWebサイトを公開したばかりの場合、わずかな「うっかり訪問」も馬鹿にはできない。

さて、リンク集それ自体よりもはるかに重要なのは「手短な紹介文」の方である。リンク集は作成するだけで公開しなくてもよいぐらいだ。紹介文を作成するためにほかのWebサイトの内容を「要約」してみると、手がけようとしているコンテンツの分野で、どのようなキーワードが要点になるのか理解でき、コンテンツ作りの「勘所」が掴めてくる。紹介文を考えることは、自分のサイトでのコンテンツ作りにたいへん役立つ作業である。

また、関連するサイトの「要点」になっているキーワードは、集客力のあるキーワードである可能性も高い。リンク集を公開するとすれば、紹介文に含まれるキーワードで検索を行った訪問者を誘導できるかもしれない。リンク集という形式をとらずとも、本文の中で関連するWebサイト、Webページを検討してみると、同じような効果を上げることができよう。

リンクの意味は論文や報告書で参考文献を示すのと同様であり、考え方にまったく目新しさはない。その場ですぐ参照先を閲覧できるという点のみが、WWWによってもたらされた「新しさ」であろう。コンテンツを構成する要素として、リンク集のコンセプトは「古くて定着した」ものだ。効果は小さいかもしれないが、確実なアプローチである。

しかし、リンクの中には無意味なものもある。その筆頭は「自由参加型リンクプログラム」であろう。

訪問者の動線を考慮した場合、自由参加型リンクプログラムは効果のある宣伝方法ではない。コンテンツに「揺るぎのない自信」のある場合をのぞくと、プログラムのバナーは、せっかく訪ねてきた訪問者を「面白そうなコンテンツがあるかもしれない」他のサイトへ追い返してしまうからだ。論理的に考えれば「胴元と一部の有力サイトしか儲からない」ことは明白だが、この構造に気付いていないWebマスターは意外に多い。

分かりにくいと思うので、通常のリンク集と比較しておこう。自由参加型リンクプログラムの場合、「去ってしまった訪問者」はそう簡単に帰ってこない。なぜなら、いったんサイトを去ってしまった訪問者は、プログラムのサイトで他のサイトを探すからだ。

一方、通常のリンク集であれば、もしリンク先サイトのコンテンツより自分のコンテンツが充実していなくても、悲観することはない。簡単な理由で訪問者が帰ってくる可能性がある。リンク先サイトが優れていれば、あなたのサイトは少なくとも「使えるリンク集を提供している」という評価を獲得できるからだ。リンク集も立派なコンテンツであり、その作成には手間がかかる。

自由参加型リンクプログラムには「なんとなく集客してくれそうな」イメージがある。バナーを貼るだけなら紹介文の内容をあれこれ悩む必要もなく「手間いらず」だ。しかし、紹介文を考える作業を飛ばしていては、「リンクの効用」を十分に享受することはできない。WWWにおいてもやはり「楽して得」をすることは難しい。

コミュニケーションツールとして割り切れば、自由参加型リンクプログラムにもメリットはあるかもしれない。しかし、リンク先の内容の評価を行わない自由参加型リンクプログラムは、参考になる情報の所在を示すという本来のリンクの趣旨とは異なるリンクだ。閲覧者が再度情報を探し回らねばならないという意味では、「不親切なリンク」であるとも言える。

マニュアル人間

集客や宣伝をテーマに述べてきたが、「手法の妥当性」に関してはもう一つ論拠がある。それはごく簡単なものだ。検索エンジンとしてもっとも一般的なGoogle社が公開しているサイト作りのガイドラインWeb マスターのための Google 情報である。

この懇切丁寧な「マニュアル」は思いのほか参照されていない。このページにリンクしているページは非常に少なく、Googleのサイト内からのものをのぞくとわずか2ページである。リンクではなくURIを含むページで検索しても5ページしかない(2003年11月13日)。

WWWコンテンツは途中にコンピュータという「機械」が介在してはじめて成り立っている。説明書を読まずにはじめて購入したコンピュータを使いこなせるわけがないのと同様に、コンテンツ作りや検索エンジンの利用も、説明書に相当するものを当たってみることが必要不可欠だ。

本論において別の側面-論理構成の整った文章作成など-からその効果を指摘してきた項目は、このガイドラインにも適うものばかりだ。つまり、真っ当なコンテンツ作りをしていれば、集客ということに頭を悩ます必要性は薄い。

コンテンツ自体のマーケットが小さければ数字は伸びないかもしれないが、これは制作者の手腕でどうにかできる問題ではないことの方が多いだろう。集客に悩んでいるよりは、ひとまとまりのコンテンツを完成させたノウハウを用いて、対象を変えたコンテンツの作成に時間を割いた方が効率的だ。

このセクションは追加・修正を行う可能性が高い。

2003.11.13