ガイドブック千夜一夜

カッパドキアを載せない理由

弊サイトではトルコの旅と食事と温泉と とるこのとととをはじめ、多数のコンテンツでトルコの話題を扱っている。しかし、イスタンブルに次いで名前の通った観光地、カッパドキアが掲載されていないことを訝しく思う訪問者も多い。掲載してこなかった理由はいくつかある。

まず、制作者が1987年の初訪土のとき以来、一度も訪れていないことは大きい。カッパドキア自体は1度ぐらい訪問してみる価値のある観光地だし、悪いところだとも言わない。しかし、再び訪問するまでには魅力を感じていないのである。

とるこのととと」の表書きにも記しているように、すでに紹介し尽くされていることも理由のひとつだ。Googleで「カッパドキア」をキーワードとして検索すると、日本語だけで9580件ものWebページがヒットする(2003年5月24日現在)。コンテンツとしての特色を出すことを考えると、どうしても優先順位が低くなってしまう。日本からのツアーもたくさん出ているから、個人旅行向けの情報を提供する必要は少なかろうという考えもある。

ところで見てのとおり、このサイトのコンテンツは日本語で書かれている。そして、ターゲットも日本人を中心とした日本語を理解する日本的な生活習慣を身につけた訪問者だ。

これまでいただいた電子メールには、台湾やドイツ、タイなど、国籍の面でもエスニシティの面でも日本人ではない方からのものも含まれていた。しかし彼らの場合も留学や駐在経験を通して日本語を理解し、生活習慣に対する理解が深い人々が中心になっている。

トルコの観光スポットはバラエティに富んでいる。温泉をはじめ、妙に「和風」な楽しみ方のできるものが少なくない。キリスト教人口は1パーセント前後、ヨーロッパの国でもない日本で、キリスト教の遺構やローマの遺跡ばかりがもてはやされるのは「ひねくれ者」として今ひとつ面白くない。

「トルコ」「Turkey」というふたつのキーワードをGoogleで検索した結果数を比べると、勝負にならないほどの差が付く。紙媒体にしても英語をはじめとするヨーロッパの言語は圧倒的だ。必然的に質の高いものも多くなる。ガイドブックも同様だし、道具としての使い勝手はアルファベット表記の方がなにかと都合がよい場面が目立つ。しかし、旅行の目的地まで欧米流にしなければならないのか?

いい加減日本的なスタイルで海外旅行をしたり、外国を見てみようというのは、このサイトを開設したきっかけのひとつだった。それゆえ未だにカッパドキアを掲載しようとしないわけだ(まあ、カッパドキアにあるのはキリスト教の遺構だけではないけれど)。欧米風のフィルタを通して世界を見るという「奇形のオリエンタリズム」へのささやかな抵抗でもある。

2003.5.24