ガイドブック千夜一夜

ガイドブック千夜一夜その5

前の2回では国や地域ごとにまとめられた'travel survival kit'のタイトルを取りあげ、LP社のガイドブックが1990年前後までにそのスタイルを確立したことを述べた。今回は再びWest Asia on a Shoestringのような'on a shoestring'を冠するタイトルに戻ってみる。

巻頭に記されたLP社のコメントによれば、本書は'Lonely Planet's biggest ever new title'であり、いわば「満を持して」リリースしたタイトルだ。題のとおりドイツ、オーストリア、イタリア以西のすべてをカバーしており、1320ページで構成されている。重量は1kgを越え、旅行カバンの中でかなりのスペースを占めることになる。

参考までに、ほぼ同時期に発行された『地球の歩き方 (1)ヨーロッパ』(94~95年版)は904ページである。『地球の歩き方 (1)ヨーロッパ』では北欧とギリシアもカバーされており、対象地域がやや広いことを考慮すると、本書の集積度の高さが想像できると思う。加えて'travel survival kit'とは異なり、写真を掲載するためのカラーページは設けられておらず、すべてモノクロのテキスト中心で構成されている。

もともとツーリスト・インフォメーションが発達し、参照できる地図が用意されていることの多い地域という有利な条件もあるが、収録されている地図は洗練されたものになっている。手書きで起こされたとみられる直線を中心とした地図はほぼ姿を消し、縮尺もよりリアルで「正確な」地図が使用されるようになった。

地図に関してはもうひとつ大きな変化があった。番号によって目標物を指し示す方法はこれまでのタイトルですでに定着していたが、本書では宿泊施設は■、飲食店は▼、というように、目標物の種類ごとにマークが使い分けられるようになったことだ。

このほか、交通機関の「乗り場」やキャンプサイト、郵便局、ツーリスト・インフォメーション、病院、教会についてもそれぞれ全ページで統一されたマークが採用されている。マーキングの改良により、地図上で目的ごとに目標物を認識することは格段に容易になった。

しかし改良の進んだ「正確な」地図によって実際に目標物に到達することが容易になったかと言えば、必ずしもそうではない。回を改めて検討するが、「デフォルメ」の行われていない地図は意外に使いにくいという感触を持ったのである。

例えば大都市のロンドンでは大縮尺の全域図に加え、旅行者の利用頻度の高い3つの地域について詳細図を掲載している。詳細な地域ごとの地図はリアルで通りもほぼ網羅されており、地下鉄の乗り場も固有のマークを使って表示している。しかし、どの通りが注目すべき通りなのかは分かりにくい。リアルではあっても旅行者の動線に合わせたデフォルメが行われておらず、不要な情報を消す作業が求められてしまう。

ところで、最初に本書を開いて「腰を抜かした」のはライターの数だ。巻頭で顔写真や経歴を入れてライターを紹介するスタイルは従来のタイトルと同様だが、本書の場合そのライターが11人も並んでいる。West Asia on a Shoestring (6th ed.)がTony Wheeler氏の単著であったことと比較すると、制作の時点からまったく異なった性格であったことが窺える。

数量的に比較することが困難なテーマであるが、このようなライターの多さは「読みにくさ」につながっている。出身地や経歴、年齢などバックグラウンドの異なる多数のライターにより執筆されていることは、それぞれの地域ごとに執筆したライターが誰であるのかを確認し、その「クセ」を見抜く作業を読者に求めた。

「船頭多くして船山に登る」という例えは本書のためにある感を抱かざるを得ない気分になったが、LP社の出版物に馴染んだ他の旅行者からも同様の意見が聞かれた。こうしたライターの多さに起因する「わかりにくさ」は、前述した地図のわかりにくさについても影響しているかもしれない。

さらに、対象地域の特性と相まって、日本人が利用するという視点からは別の難しさが感じられる面もある。ライターはすべて欧米の文化をバックグラウンドに持つ者で占められている。ヨーロッパ史やキリスト教史の基礎的な知識として暗黙のうちに要求している水準は、日本人をはじめ欧米以外の読者にとっては非常に厳しい。

さて、'on a shoestring'を冠するタイトルではあるものの、West Asia on a Shoestringとは相違点が大きい。本書の裏表紙には収録地域を示す地図とともに、以下のキャッチコピーが並んでいる。

アジアを横断する旅にはじまったそれまでのLP社の出版物とは、目的地の性格もまったく異なっている。個人旅行者が対象であることに変わりはないものの、「カトマンドゥからイスタンブルまで」というような明確な旅行のルートは設定しにくい地域でもある。

対象地の物価は高い水準であり、従来のシリーズとは旅行のスタイルも大きく変わることが避けられない。キャンプサイトの情報が充実していることは本書の特徴のひとつであり、タイトルのような'on a shoestring'をある程度は実現可能にしている。

しかし、当時(発行翌年の1994年夏に本書を参考に旅行している)の実情としてもキャンピングを行う旅行者は限定されていた。キャンプを行うにしても地元の、あるいは近隣地域の旅行者がキャンプをする目的地-観光地-が中心であった。それとは裏腹に、収録されている地域は多くが都市部であり、同時にそれらが「ハイライト」となる魅力のある目的地である。

その都市部において、本書を利用する旅行者が実際に利用する宿泊施設はユースホステルやB&Bであることが多かったことは、宿泊施設で行ったインタビューの回答からもある程度推測できるものだった*1

タイトルどおりの「倹約旅行」は実現可能だが、それまでLP社の出版物が対象としてきた地域と比べると必要な旅費は高い。そして'on a shoestring'の「低予算」には必ずしもこだわらない旅行者も多く、対象となる読者層が広くなる結果になったと考えている。

ライターの多さや地図の「改良」などがもたらした影響と並んで、「ターゲットが誰なのか?」ということが不明瞭になっている感が否めない。このことは、同社が手がけたJapan-A Travel Survival Kitにも共通するだろう。

カラー写真こそ掲載されていないものの、本としての「見た目」はWest Asia on a Shoestringに比べて格段に進歩しており、Thailand-A Travel Survival Kitと同様、スタイルは完成している。しかし、裏表紙のキャッチコピーは具体的なものだけになり、かつての「遊び心」は消えた。初版であるとはいえ、「余裕のなさ」を窺わせる部分である。そして本書は私がLP社の出版物から徐々に離れるきっかけになった1冊でもあった。

2003.6.20