WWW川流れ

有料コンテンツを考える

弊サイトにおいて有料コンテンツ「とるこのととと印刷用ファイル」を提供し始めてからまもなく1年が経過する。もともとは閲覧者のニーズを取り入れつつも漸次肥大化するサイト維持コストに歯止めをかけ、運営を安定化させる意図をもって導入したものである。

しかしながら考えは変化しつつある。単刀直入に言えば「タダでリソースを垂れ流すことは罪深い行いである」という考えに近づいてきた。無償で閲覧できる創作物の氾濫は本来対価の支払われるべき優秀な創作物の出現を妨げかねない。ある意味「ダンピング」であり、公正取引委員会に踏み込まれないものか毎日ビクビクしている(これは冗談だが)。

このサイトの制作者はもともと書籍や雑誌の「ヘビーユーザー」であったが、これ以上スペースを捻出できないという事情もあり、ここ数年は蔵書に追加する点数をかなり絞っている。WWW上のコンテンツと比較してしまうと書籍や雑誌がつまらなくなったという理由も大きいが、購入点数が激減したことは明らかな事実だ。

この問題は深刻である。CSJが継続的に行っているWWW利用者調査によれば、2000年6月の調査から連続して「ネット」はメディア別に費やされる時間の首位を占めている。「時間別シェア」とも言い換えられるこの数字に関して他のメディアが横這いあるいは漸減傾向を示す中、WWWは「一人勝ち」を続けているのだ。

嘆かわしいことに前述の調査で行われた「個人ホームページ所有の有無と希望」では、ホームページを持っているWWW利用者の割合が低下する一方で、「しばらく持つつもりはない」という回答が年々増加傾向にある。さらに嘆かわしいことに「以前は持っていたが今はやめた」という回答も増えている。そのWWWでは情報が無償で提供されることが定着している。

個人サイトの大半は2年程度でWWWから姿を消してゆくという説がしばしば唱えられている。データのバックアップとして作成したCD-Rから2年前のブックマークを取り出し、個人サイトの多い分野から200サイトを抜き出してチェックしたところでは約30%がリンク切れになっていた。

ファイルは消去されないまでも更新が停止し、事実上閉鎖された状態のものも多いことを考慮に入れると、「個人サイト2年説」にはそれなりにリアリティがある。まもなく公開から5年が経過する当サイトなどは奇跡的なぐらいの長寿命に分類されてしまう。

書籍や雑誌にも読み継がれるものは決して多くないから、憂うべきことではないのかもしれない。しかしもし仮に、Webコンテンツを閲覧するごとにわずかな金額であっても課金される習慣が定着していたとしたら、WWWはどのような進歩を遂げていたであろうか。

WWWがここまで普及せずに他のメディアが勢力を維持していたかもしれないし、電子メールやチャットを中心としたまったく違う発展を遂げていたかもしれない。逆に、閉鎖されずに済んだWebサイトが継続的な更新を経て磨き上げられていたり、公開を諦められてしまったコンテンツが日の目を見ていた可能性もある。

とはいうものの、一般的なページ閲覧の有料化を唱えようという大それた考えは持っていない。検索エンジンでリソースとして収集され多数の閲覧者の利益に資することは効用が高いと考えているからだ。このような機能はこれまでのメディアになかった特徴である。そうした情報をこのサイトの制作者も活用しており、それに対する互酬的な行為と認識している。

互酬性の範囲はWebサイトそのものであるとは限らず、掲示板に書き込まれたログであったり、電子メールでのやりとりもときにはこの中に入ってくる。極端な場合にはICQのログであるかもしれない。そしてそれらは当サイトのコンテンツとはまったく異なる分野であることがむしろ多いが、互酬的な関係を崩すものではない。

弊サイトでは以下のようなガイドラインを有料コンテンツのポリシーとして想定している。

とりわけ2番目は重要である。業務用のリソースが無償で入手されることは生産財を否定することになりかねず、経済に与えるインパクトが大きい。情報の蓄積や新しい技術への投資を妨げ、長い目で見ると競争力を低下させると考えているからだ。

しかし、具体的な施策として有効なものはなかなか思い当たらない。先にデータを参照したCSJのように有意な情報を提供してくれている企業-互酬性の中でも活動する企業-もあり、組織形態で制限することは妥当ではない。「お金のいらない楽園」の悩ましさは当分続きそうだ。

2003.6.3